積哲夫ラジオの百十回、精神学の話の二回目です。今回は、イエスの十字架を出発点とする、現在の一神教の世界の物語の終着点が、なぜ日本列島なのかを理解してもらうために、第二次世界大戦における沖縄戦と、日本への本土空襲、中でも広島と長崎への二発の原爆投下が、いかに重要なのかの話をしたいと思います。
私の父親である積賢治という人物は、沖縄の戦いでアメリカ軍と正面で戦った、第六十二師団の奇跡の生き残りでした。また、私が幼少期に、十三階段で有名な巣鴨プリズンの官舎で育ったことも、その父の赴任先が映画で有名になった、抗争中の広島だったことも、すべてが、私が最終知識という書を世に出すための用意だったということです。
普通の日本人には受け入れがたい話ですが、私は、天から日本がイエスと同じ十字架にかけられた神の仕組みというものを、今、生きている日本人に伝える係なのです。その日本人が十字架というものを背負っているという自覚を持ってもらうために、沖縄の辺野古の同志社国際高校の女生徒が亡くなった事件を風化させない、という精神界の意志が日本列島全体にかかっていると知ってもらうために、新しくなった金曜日更新の積哲夫ラジオの霊声でこの件を取り上げることになりました。
日本のキリスト者は、その信仰をこれから死に直面する時に問われることになります。今の日本人の多くは、一神教の文化圏での魂の試練を終えて、最後のテストで日本人として生まれているということを忘れると、聖書の予告通り、左側、闇の側に振り分けられる運命が、待っているということです。では、今日の話を始めます。
なぜ日本人が最後の審判の容器にならなければならないのかを理解するために、必要なものが精神学というものです。その時が来たので、分かりやすくこの地球全体の神の仕組みを解説していきますが、普通の日本人が聖書からその世界に入ることは困難です。そこで精神界は、今回はお稲荷さんを使うことにしていると聞いています。
お狐さんはついこの間まで日本の隅々で現実に人間界、特に子供には接触していたはずで、今は死んだら終わりと思っている老人たちですら、こっくり(狐狗狸)さんなどで遊んだ記憶があったりするはずなのです。今まではその領域が力を行使することが禁じられていただけだということに、これから日本人が気づく事象が増えていきます。マネーを求めて死んでいく「今だけ、金だけ、自分だけ」の人間に死ぬまでに気づきを与える何かが本格化します。それを知らないと死んでも死にきれないということです。永遠の命、その道を知る入り口が、お狐さんやその他の眷属、あるいはよく生きて光を宿した人の霊などを通して開かれると、あの世のルールが昔とは違うこともわかるはずです。
第二次世界大戦後の敗戦後には、明治から続いてきたキリスト教文化圏での学びを終えた、人間のたましいが急激に日本人の中に生まれることになりました。それも仕組みというものなのですが、それらのたましいを教育したのが、GHQが作った戦後の日本の統治システムの中で、特別なポジションを与えられた、共産主義にシンパシーを持つ、特定のイデオロギーの人間グループでした。結果として、教育界というものは、小学校の先生から大学の教授に至るまで、左翼思想の持ち主という二十一世紀の姿になったのです。そして教育から生まれる人間の価値観は、自分がいかに社会的に上のポジションを得て、経済的にも恵まれた生活を一生送れるかという、エゴイスティックなものにしかなりませんでした。キリスト教文明圏である程度までたましいを磨かれてきたはずのものでさえ、そのような教育のもとでは、キリスト教文明の光の側面である愛という言葉に基づいた、無償の奉仕の精神をきれいに忘れ去って、自分だけの人生を歩むものになり下がりました。それが、公立学校だけではなく、神の存在を前提とした教育をしていたはずのミッション系の学校でも、同じような価値観を持つ人間しか育てられないという現実があるということを、今回の沖縄の辺野古の事件は明るみに出したわけです。精神界から見て、日本列島へのアメリカ由来のプロテスタント系の神の価値観の移入は失敗だったということになります。
もともとキリスト教精神を知っていたはずのたましいが、正しく目覚めることができない中で、精神界が選んだのがお稲荷さんなのです。実は、戦後の日本の高度経済成長を、支えたのは、日本人の勤勉さだけでなく、マネーやものづくりに関与する日本の神々の働きというものが大きかったのです。その代表的な存在だったのが、ウカノミタマの配下のお稲荷さんで、敗戦後の日本中のビルの屋上や工場の敷地内にお稲荷さんを祀っていたことを、記憶している日本人は多いはずです。その高度成長を支えた戦前生まれの第一世代が退場し、敗戦後の教育を受けた団塊の世代が経済の中心になったタイミングで、バブルが崩壊し、日本は失われた三十年というものに突入しました。
精神学がその出発点を千九百九十一年にしているのには、このような歴史的事象に対応する精神界のプログラムの存在があるのですが、その話は、またの機会にするとして、日本経済を支えたお稲荷さんが、これから改めて、今のアメリカのマネーに魂を売った日本人に、お金の試練を与えるという働きを始めるということです。今の日本人は忘れていますが、例えば、伏見の稲荷には、成功させていただけましたら、これだけお支払いします。という人間の約束、神の側からしたら、約束手形、あるいは小切手のようなものが、うず高く積み上がっているという話を聞いたことがあります。それは、神の国を作るときのための原資となるものです。同じような約束は、キリスト教文化圏にもあり、それは日本の比ではないのです。
宗教の終わりに合わせて、精神界は、この約束の履行を求めていくとしています。一神教の神が約束してきた、貧しいものが消える世界を作るためには、今ある、富めるものはさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなるという、この世のルールを変更しなければならないからです。かつては、この日本列島の多くの民が、自分のためではない目的のために生きるということを自然に知っていたのですが、今は違うことに精神界も気づいたということでもあります。この、自分の生は自分以外の誰かの生に貢献していると信じることが、イエスを信仰の対象とするものの人生の出発点になるはずなのですが、それすらも忘れたものが増えているのが今の世界、ということです。入り口は聖書でも仏典でもいいのですが、出口は一つしかないということに気づかせるためにこの日本列島が動き出しているということ、その現れの一つが辺野古の事件だということです。今回の話はここまで、また来週の話をご期待ください。
お狐さんはついこの間まで日本の隅々で現実に人間界、特に子供には接触していたはずで、今は死んだら終わりと思っている老人たちですら、こっくり(狐狗狸)さんなどで遊んだ記憶があったりするはずなのです。今まではその領域が力を行使することが禁じられていただけだということに、これから日本人が気づく事象が増えていきます。マネーを求めて死んでいく「今だけ、金だけ、自分だけ」の人間に死ぬまでに気づきを与える何かが本格化します。それを知らないと死んでも死にきれないということです。永遠の命、その道を知る入り口が、お狐さんやその他の眷属、あるいはよく生きて光を宿した人の霊などを通して開かれると、あの世のルールが昔とは違うこともわかるはずです。
第二次世界大戦後の敗戦後には、明治から続いてきたキリスト教文化圏での学びを終えた、人間のたましいが急激に日本人の中に生まれることになりました。それも仕組みというものなのですが、それらのたましいを教育したのが、GHQが作った戦後の日本の統治システムの中で、特別なポジションを与えられた、共産主義にシンパシーを持つ、特定のイデオロギーの人間グループでした。結果として、教育界というものは、小学校の先生から大学の教授に至るまで、左翼思想の持ち主という二十一世紀の姿になったのです。そして教育から生まれる人間の価値観は、自分がいかに社会的に上のポジションを得て、経済的にも恵まれた生活を一生送れるかという、エゴイスティックなものにしかなりませんでした。キリスト教文明圏である程度までたましいを磨かれてきたはずのものでさえ、そのような教育のもとでは、キリスト教文明の光の側面である愛という言葉に基づいた、無償の奉仕の精神をきれいに忘れ去って、自分だけの人生を歩むものになり下がりました。それが、公立学校だけではなく、神の存在を前提とした教育をしていたはずのミッション系の学校でも、同じような価値観を持つ人間しか育てられないという現実があるということを、今回の沖縄の辺野古の事件は明るみに出したわけです。精神界から見て、日本列島へのアメリカ由来のプロテスタント系の神の価値観の移入は失敗だったということになります。
もともとキリスト教精神を知っていたはずのたましいが、正しく目覚めることができない中で、精神界が選んだのがお稲荷さんなのです。実は、戦後の日本の高度経済成長を、支えたのは、日本人の勤勉さだけでなく、マネーやものづくりに関与する日本の神々の働きというものが大きかったのです。その代表的な存在だったのが、ウカノミタマの配下のお稲荷さんで、敗戦後の日本中のビルの屋上や工場の敷地内にお稲荷さんを祀っていたことを、記憶している日本人は多いはずです。その高度成長を支えた戦前生まれの第一世代が退場し、敗戦後の教育を受けた団塊の世代が経済の中心になったタイミングで、バブルが崩壊し、日本は失われた三十年というものに突入しました。
精神学がその出発点を千九百九十一年にしているのには、このような歴史的事象に対応する精神界のプログラムの存在があるのですが、その話は、またの機会にするとして、日本経済を支えたお稲荷さんが、これから改めて、今のアメリカのマネーに魂を売った日本人に、お金の試練を与えるという働きを始めるということです。今の日本人は忘れていますが、例えば、伏見の稲荷には、成功させていただけましたら、これだけお支払いします。という人間の約束、神の側からしたら、約束手形、あるいは小切手のようなものが、うず高く積み上がっているという話を聞いたことがあります。それは、神の国を作るときのための原資となるものです。同じような約束は、キリスト教文化圏にもあり、それは日本の比ではないのです。
宗教の終わりに合わせて、精神界は、この約束の履行を求めていくとしています。一神教の神が約束してきた、貧しいものが消える世界を作るためには、今ある、富めるものはさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなるという、この世のルールを変更しなければならないからです。かつては、この日本列島の多くの民が、自分のためではない目的のために生きるということを自然に知っていたのですが、今は違うことに精神界も気づいたということでもあります。この、自分の生は自分以外の誰かの生に貢献していると信じることが、イエスを信仰の対象とするものの人生の出発点になるはずなのですが、それすらも忘れたものが増えているのが今の世界、ということです。入り口は聖書でも仏典でもいいのですが、出口は一つしかないということに気づかせるためにこの日本列島が動き出しているということ、その現れの一つが辺野古の事件だということです。今回の話はここまで、また来週の話をご期待ください。
















