雨水は、木々と土が必要な分だけ吸い上げ、その余りは地下水になります。
そして、山から川に水は流れ、川の底からも水を湧き出させ、豊かな栄養を持った水が海に流れ出ます。山からの栄養はプランクトンや海藻の餌となり、生態系は維持されてきました。
地下水になるためには、木の根がないと深く浸透していきません。石伝いに浸透していきますが、木がないと石に浸透せず、石は乾き、雨水は山肌に流れてしまいます。水不測の原因は雨が降らないだけでなく、山の木を無くし、ソーラーパネルの設置や、ダムの建設、コンクリートによる水脈の分断が大きく関係しています。そして、それは海の海藻やプランクトンの餌にも影響し、海の生態系も大きく崩すことに繋がっていたのです。
山の表面を綺麗にすることで、海までつながる、地球環境。
私たちが出来る一歩から、地球は再生します。朽ちた山の落ち葉を畑に撒くことで微生物が活発に働き、土を作ってくれます。今、日本だけでなく世界中の海も山も荒れている理由の一つは、その仕組みを知らずに、生きている事です。この話は、後程別の記事にまとめます。
さて、2024年1月から岡山の畑に端っこに置いた枝や落ち葉。直に畑に置いた理由は、堆肥にしないためです。
微生物は木や落ち葉を餌として食べます。それを植物が吸収できるようにアミノ酸や色々なものに変えるのですが、その際に二酸化炭素を放出します。そして放出された二酸化炭素を植物は吸収し、酸素を出します。ですから、微生物の分解作業が終わった堆肥を畑に撒くより効率がいいのです。
土の中には沢山の微生物がいます。
彼らは有機物、炭素を分解して、二酸化炭素を出します。植物の根からも二酸化炭素が出ます。
大気中の炭素は光合成によって植物に取り込まれ、その一部は作物の呼吸によって大気に戻され、残りは作物内にとどまります。
収穫後の茎や根っこの残りが、そのまますき込まれたり、堆肥に使われたりすると作物中にあった炭素は土壌有機物として土の中に堆積されます。
この土壌有機物が微生物によって、分解されると炭素は二酸化炭素として放出されます。循環しています。
波動意識農法を広めたい理由は単純で、土地を元に戻すことが地球を救うことに繋がっていくからです。
くしくも、ここの場所は山頂です。先ほど少し話した通り、この山頂の環境が一番重要で、いくら下を頑張って綺麗にしても、意味がないのです。
私達の足元にある土には、沢山の微生物が生きています。彼らを殺すのが除草剤です。除草剤によって、微生物がいなくなることで栄養素も無くなります。菌も栄養もなくなった土では、作物は育ちません。だから、肥料を使うのです。その瞬間から畑はこの地の循環の一部ではなくなります。人は、この地に最初から生きていたものを殺して、自分たちの都合のいいように変えてきてしまいました。体には、食したものの情報が入ります。一度、波動意識農法で育った野菜を食べてみて下さい。性格、思考さえも変化します。
今この瞬間から意識が変化するだけでも、地球を救う一歩になるはずです。
その昔、海で生活していた人たちは、山の人たちを大切にし、山の人たちは、海で生活している人たちを大切にしていたそうです。綺麗な山を保つことが、豊かな海を保つことが、自分たちの生活の場を豊かにしているからだと、それぞれ分かっていたからでしょう。
昔は、毎年山の落ち葉を集め、畑に撒いたり、温床を作ったりしました。その為、山の地肌が見えるほど綺麗になっていました。
畑には、山の恩恵を受けた作物が実り、人と自然とその働きの中で豊かに育った食物を人々はいただいていたのです。
家を建てる際には、木を倒し、火を焚くために薪を作る。そして、生活に必要な山を守るため、木を間引く。太陽の光が当たり、風通しも良く、山を神の御神体として、人々は大切にしていました。
今では、生活も豊かになり、電気が普及し、薪も不要となりました。生活のための労働が激減しました。
その為、山は放置され、木々も枯れてしまいます。
山の木も枯れ倒れ、落ち葉もそのままにしておくと、腐葉土になり、虫が発生し、木を枯れさせる原因にもなります。
地球に命を与えられた以上、人は、その営みの一部として働いていく事が理想なのかもしれません。
人の手で地球を守ることが、私たちの生活基盤を守る事に繋がっていくのです。