一条戻橋
この二千二十三年の十一月のある日、私は、京都の一条戻橋の橋の下にいた、たぶん安倍晴明が使役していた式神を、近くの晴明神社に移すということをすることになりました。
この橋のことは、調べれば色々と出てきますが、京都の現世とあの世、または霊界を繋ぐ場として、長い間、現実に機能していたらしいことを、今回、改めて発見したのでした。
橋の上では何も感じない人間でも、いまは遊歩道として整備されている橋の下では、何かを感じることになるかもしれないと、ここではお伝えしておくことにします。霊的なものというより、もっと強い、歴史の暗部の波動が残されている、または、再生する機能を、一条戻橋は与えられているという印象なのです。
これは、精神界が進めている、日本を取り戻す事業の一環で、京都を訪れている多数の外国人にも、この歴史的波動は影響を与えることになるはずです。
その後に訪れた、白峯神宮には、ご祭神がおられて、本来の祟り神たる性格を取り戻しておられました。
これから、日本は大変なことになるということです。
日本をガイコクに売り渡そうとしているものたちが、ここまで増加し、京都が特にガイコク資本のターゲットにされていることに対して、京都に張り巡らされた各種の結界が、これから、発動することになるかもしれません。
そこには、仏教的な結界も含まれます。また、安倍晴明の陰陽道の結界も、和気清麻呂の神道的結界なども、もしかすると、機能することになるのかもしれません。
なぜかというと、明治維新は、ペリーの黒船はトリガーを引いたに過ぎず、その実体は、京都の深いところで、精神界のある層の介入もあって進行していたものだからです。
その主役は孝明天皇で、その暗殺は、いまだに歴史の闇の中あります。
この度のご一新では、たぶん、これらの闇も表に出ることになるのです。
その意味では、なぜ、白峯神宮が、いまの場所にできたかのことについて、調べれば、何かがわかるはずです。
日本というクニでは、祟り神とされた人間のたましいが神格を与えられた後に、このクニを守るハタラキをすることが多いのです。たましいの覚醒というのは、そういうことです。死後の世界でも起こるのです。このメカニズムを説明できるのは精神学のみですが、それは、過去の歴史上の事象に係ったたましいのデータに光を当てることで読み解くという能力を、人間は潜在的に与えられているということの意味を、正しく人の世に伝えているからです。
人間のたましいは、神や神々のワケミタマだという日本の知識は、それを正しく覚醒させれば、神や神々のような知力を人間も持ち得ることを伝える知識でもあるのです。
そして、精神界が人間界に関与するためには、生きている人間を精神界の代弁者として立てる必要があり、このシステムのために、過去の宗教的リーダーは育てられたのですが、ひとりひとりの人間に浄化と上昇の方法が伝えられた現在では、その必要性は消えました。
その結果として、この二千二十三年に、幸福の科学という宗教団体の創設者が死に、創価学会という巨大仏教信仰団体の第三代会長の死も公表されるなどの事象が続いています。この宗教的リーダーの死と、現行の日本の政治勢力の弱体化は、ひとつづきのもので、これによって、戦後日本の幻想も終わることになります。さらには、いまの日本中に満ちている、マネーに対する信仰も、欧米のマネーの背後にある邪悪な思いのエネルギーの正体に覚醒する日本人が増加することによって、大きな転換点を迎えることになります。
いまの世界を支配している人間グループは、知らないことが多過ぎるのです。
その第一に挙げられるのは、歴史はマネーで買うことはできないということです。
土地も建物もマネーで買うことはできますが、そこに記された記憶のデータをマネーで消去することはできません。これから、マネーで買えないものの重要さに人間は気付く時代に突入するのです。その時、現行のマネーで、生きたものは、最後の審判後に、生きることができなくなる自分を発見するのです。
神紀三年(二千二十三年)十一月二十三日 積哲夫 記