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Vol.73:四章-1

四章 ホワイトコードの叛逆

 
 
 かたんと音を立てて、カフェスタンドの窓際のカウンター席にトレイを置いた。上に載っているのはコーヒーとベーコンのキッシュだ。
 南方国家リヒタード。その某都市にて、出勤前にカフェスタンドへ立ち寄った男は、外の景色を眺めて一息ついた。
 手元の端末に表示されているのは、星の反対側にある国――技術大国シンカナウスの、悲惨な現状のリポートだった。永らくシンカナウスの後塵を拝してきたエントが、持ち前の機械化技術とシンカナウスから流出した技術を組み合わせ、ついに大国を下そうと牙を剥いたのだ。ここ一週間、めまぐるしく変わる戦況は、どちらが不利とも言えない状況だった。

 一時は、シンカナウスの誇る演算システムのMOTHERも停止に追い込まれ、研究都市が空爆されたほどだというのだから、エントは今回目覚ましい戦果を上げているといえるだろう。とはいえ、MOTHERが復旧するなり、防空システムも再び機能し始め、研究都市に出現したエントの戦力は駆けつけた第三艦隊と防空システムにより叩き潰されたという話だった。その後、両国は小規模な衝突を繰り返しつつ、睨み合いを続けているらしい。
 シンカナウス絡みでいえば、不穏なニュースもある。――戦闘型として開発され、検証段階にあったアンドロイドが殺人を犯したという話だ。記事では、オーギル空戦後、作戦から戻ってきたアンドロイドが口論になった相手の人間を突き飛ばし、人間の方は全身を強く打って死亡したと発表されている。この事件のため、アンドロイドの安全性については大いに疑義があると国内でも動揺が広がっており、廃棄派の意見が多数を占めているという。
「……」
 静かにコーヒーをすする。しんしんと雪が降っている。銀に静かに沈む都市と、除雪に忙しく立ち回る人たち。冬に人々が働く姿はしみじみとした美しさがある。音をほとんど雪が吸い込んでしまって、無音に見えるから、なのかもしれない。
 ――どんな凄惨な戦争が起きていたとしても、少し離れてしまえば、それはどこか遠くの国の出来事になる。
「おっと!」
 ぼんやり戦争中の両国に想いを馳せていると、手元でアクシデントが起きた。不意に手に当たった金属のカップが傾いで落ち、床の上に即席の褐色の湖を見る間にこしらえ――るかと思われたが、宙でカップは静止した。
 きょとんと見守る男の目の前で、カップはおもむろに自分で体勢を立て直し、ふわっと上へ浮き上がっていく。呆気にとられてカップを目で追うと、小さな白い手がカップを支え、そこでカップは謎の浮遊する力を失ったように見えた。
「……どうぞ」
 見れば、白い手の持ち主は隣に座っていた小柄な若い女性だった。赤っぽい金髪に茶色い瞳。コートを羽織った他は大した荷物も持っていない。席を立とうとしたところだったのだろう、空のコーヒーカップを片手に持っているが、どこか、何か、ちぐはぐさが感じられた。何がちぐはぐなんだろう、と考えながら、男はとりあえず微笑んだ。
 よく分からない現象はシンカナウスの尖りすぎた技術だ、と教わって育ったので、おそらく彼女もあの国の人間なのだろう。
「今のはすごい技術だね。嬢ちゃん、もしかしてシンカナウスの人かい?」
「まあ、そんなところです。――ここ、綺麗な街ですね」
 窓の外で降りしきる雪を眺め、彼女はそんなことを言った。
「ここを訪れる人はみんなそう言うな。実際住んだら、寒くて堪らんのだがね」
 そうはいいつつも、毎年のことだ、と快活に男は笑う。女性もころりと笑った。気持ちのいい子だ。
「ああ、町の中央にある時計台には行ったかい? 展望台から町が一望できるよ。あと、町をぐるっと一回りするなら、周回の飛行バスが停留所で割引券を売ってる。安く観光できておすすめだ」
「本当ですか? ありがとうございます。あとで行ってみますね」
 談笑に花を咲かせながら、女性は微笑んだ。
「ところで、シンカナウスに戻りたいのですが、今は空港が閉鎖されてるらしくって。やっぱり陸路で行くしかないですかね?」
「えっ!」
 男はぎょっとした。
「あの国は今エントと戦争中だろ? 危険を冒して戻るより、ここで職を見つけて働くなりして、状況がマシになるのを待つ方がいいんじゃないか? 難民申請なら近くの役所からでも出せるはずだが」
「うーん、お気持ちはありがたいんですけど」
 曖昧に微笑みながら、彼女はそっと断りを入れた。
 
「――マザーが、待ってるから」
 
 そうして、去っていった彼女を見送ってから、あ、と男は違和感に気がついた。
「……あの国の人間って、あんなに目がきらきら光るのか?」
 
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