積哲夫ラジオ百八回です。
この積哲夫ラジオの本編は、二千二十六年の六月から内容を一新して、積哲夫の精神学の話というものに変わります。その理由は、精神学のイロハを知るためには、一神教の歴史と日本の精神史を一対のものとして、理解していないと困難な面があるというところにあります。
日本人が日本史と世界史が、精神界の関与で形成されてきたという視点を持たない限り、魂の覚醒もないということを知らせることを、改めて目的とする話となります。この内容の変更は精神界が関与して、二千二十七年三月二十六日に公開されることが決まっている、メル・ギブソンのエチオピア聖書に関する新作映画に対応する、イエス・キリストの真実と日本が深い関係があるということを、今の日本人に知らせるためのものだということです。
それに伴い日本列島上では、この二千二十六年の六月から、日本人の覚醒のための神罰というか、神々の祟りが本格化するようです。一方アメリカを中心とする一神教の文化圏では、二千二十七年の三月より、キリストは一人一人の心の内にあり、人間の体が審判の容器になるという、精神学が伝えてきた、正しいイエスの教えに導くための、たましいへの試練が始まると予告されています。さらには日本の神社仏閣、その他の精神的エネルギーの場を、汚す行為などについても、神罰や仏罰、たたりなどがこれから強まることも予告されています。なぜこのタイミングなのかは、地球各地の神々の日本列島からの、帰還も果たされ、今の不信仰な人間が、何のために今の地球上に、これほど存在しているのかの理由が、これから明らかにされるからです。普通の日本人には理解しにくいかもしれませんが、明治から今日までの日本列島は、神や神々のパワーが、ある目的のために封印されてきたということです。
それを聖書の記述に当てはめると、神は自分を裏切った自分の民を罰するのに、他の民族や国家を使うことがあるということです。明治維新の時に日本人は、日本神界の用意したプログラムを無視して、アメリカ、イギリス、フランスなどを支配していた、西洋の一神教に由来する文明を神のごとく扱い、あろうことか日本神界が克服すべきテーマとしていた、キリスト教の神の支配というものを真似て、天皇の神格化まで実行してしまいました。この日本政府の日本神界への裏切りを知っていた、大本教の出口王仁三郎が、弾圧が始まった日に、「これが日本の負け始めじゃ」と言ったと伝えられていますが、大日本帝国のあの敗戦は、ユダ王国の消滅とバビロン捕囚の再現に他ならないのです。日本人は数が多かったため、国を追われるディアスポラ(民族離散)の運命とはなりませんでしたが、それよりも悪い運命を自ら選んだのです。それが心の喪失あるいは魂のディアスポラとでも言うべき現象で、その結果、戦後八十年間、日本人の信仰心はほとんど消滅してしまいました。
残されたものは宗教という言葉への恐怖心と、祟りへの恐怖心という二重の精神的エネルギーへの拒否反応だったのです。これが今の日本人の多くが精神学という言葉を聞いた時に起こす、拒否反応のもとにあるものです。その反応は神にあるいは神々に見捨てられたものの、条件反射のようなものです。今のままでは自分の魂は救われないということを、潜在意識では知っているので、それが意識上に上がらないように、感情的に拒否するのです。二十世紀の日本人にはそれを、宗教という言葉に結びつけるような体験がありました。阪神淡路大震災と同じ千九百九十五年に起きた、宗教カルト団体によるテロがそれです。これに敗戦後続いていた各種の新型宗教の、勧誘活動への否定的感情も相まって、宗教的なもの、精神的なもの、イコール危険という、刷り込みが完成してしまいました。私の知るところでは、これらの事象のすべてが、実はアンチキリストという言葉で代表される、闇の精神エネルギー領域からの人間界への干渉だったということです。これらのことも人間の歴史は、人間だけが作るものではない、ということの一例です。
宗教の歴史はこのようにして、終焉に向かっているのですが、天国や地獄を語ってきた宗教の退場によって、人間の魂は、死後どうなるのかという疑問が、これから生じることになります。結論を言うと、宗教の時代の終わった先に、日本人の魂はどこに行くのかを、今の日本人は、その人生の生き様で定めようとしている、ということです。死んだ自分がどこに行くのかを、考えていない人間は、そのままこの人間の世に、とどまり続けます。神様や仏様が現れて、導いてくれるわけでも、ご先祖様が現れて、光の世界へ導いてくれるわけでもないのです。
日本ではその死者の魂は、二十世紀までは、あの世に行ってくれましたが、今は人間界とシンレイカイが重なっているため、この世に死んでも、いるということです。そしてその世界との交流が、これから始まることになります。その新しい時代の始まりが、日本ではこの二千二十六年の六月から、その他の世界、特にアメリカでは、二千二十七年の三月に始まるということです。
その世界への道案内として、この積哲夫ラジオが、役割を担うことになり、次回からは、積哲夫の精神学の話として、なぜ日本で宗教の時代、聖書の時代が終わる用意がなされたのかを、わかりやすく解説します。過去の知識が役に立たない、未来の話です。どうぞご期待ください。
それを聖書の記述に当てはめると、神は自分を裏切った自分の民を罰するのに、他の民族や国家を使うことがあるということです。明治維新の時に日本人は、日本神界の用意したプログラムを無視して、アメリカ、イギリス、フランスなどを支配していた、西洋の一神教に由来する文明を神のごとく扱い、あろうことか日本神界が克服すべきテーマとしていた、キリスト教の神の支配というものを真似て、天皇の神格化まで実行してしまいました。この日本政府の日本神界への裏切りを知っていた、大本教の出口王仁三郎が、弾圧が始まった日に、「これが日本の負け始めじゃ」と言ったと伝えられていますが、大日本帝国のあの敗戦は、ユダ王国の消滅とバビロン捕囚の再現に他ならないのです。日本人は数が多かったため、国を追われるディアスポラ(民族離散)の運命とはなりませんでしたが、それよりも悪い運命を自ら選んだのです。それが心の喪失あるいは魂のディアスポラとでも言うべき現象で、その結果、戦後八十年間、日本人の信仰心はほとんど消滅してしまいました。
残されたものは宗教という言葉への恐怖心と、祟りへの恐怖心という二重の精神的エネルギーへの拒否反応だったのです。これが今の日本人の多くが精神学という言葉を聞いた時に起こす、拒否反応のもとにあるものです。その反応は神にあるいは神々に見捨てられたものの、条件反射のようなものです。今のままでは自分の魂は救われないということを、潜在意識では知っているので、それが意識上に上がらないように、感情的に拒否するのです。二十世紀の日本人にはそれを、宗教という言葉に結びつけるような体験がありました。阪神淡路大震災と同じ千九百九十五年に起きた、宗教カルト団体によるテロがそれです。これに敗戦後続いていた各種の新型宗教の、勧誘活動への否定的感情も相まって、宗教的なもの、精神的なもの、イコール危険という、刷り込みが完成してしまいました。私の知るところでは、これらの事象のすべてが、実はアンチキリストという言葉で代表される、闇の精神エネルギー領域からの人間界への干渉だったということです。これらのことも人間の歴史は、人間だけが作るものではない、ということの一例です。
宗教の歴史はこのようにして、終焉に向かっているのですが、天国や地獄を語ってきた宗教の退場によって、人間の魂は、死後どうなるのかという疑問が、これから生じることになります。結論を言うと、宗教の時代の終わった先に、日本人の魂はどこに行くのかを、今の日本人は、その人生の生き様で定めようとしている、ということです。死んだ自分がどこに行くのかを、考えていない人間は、そのままこの人間の世に、とどまり続けます。神様や仏様が現れて、導いてくれるわけでも、ご先祖様が現れて、光の世界へ導いてくれるわけでもないのです。
日本ではその死者の魂は、二十世紀までは、あの世に行ってくれましたが、今は人間界とシンレイカイが重なっているため、この世に死んでも、いるということです。そしてその世界との交流が、これから始まることになります。その新しい時代の始まりが、日本ではこの二千二十六年の六月から、その他の世界、特にアメリカでは、二千二十七年の三月に始まるということです。
その世界への道案内として、この積哲夫ラジオが、役割を担うことになり、次回からは、積哲夫の精神学の話として、なぜ日本で宗教の時代、聖書の時代が終わる用意がなされたのかを、わかりやすく解説します。過去の知識が役に立たない、未来の話です。どうぞご期待ください。
















