2024年6月23日 まつりごとニュースVOL.8:まつりごとニュースが始まった理由
今回はまつりごとニュースが始まった理由についてです。戦後七十九年目にして、日本のまつりごと、政治が危機に直面しました。明治の開国後、西洋の民主主義を取り入れた一つの結末です。それは日本国民の選挙の投票率に現れていて、日本人はなおも江戸時代の町人のように、政治がお上のなさることであり続けています。日本人はまだ自分たちの頭で政治的な権利を考え、戦いとる経験をしていないのです。
本来の日本のまつりごとは、天皇の権威があってのお上なのです。それは、神話で天の神が地上の国をしろしめせと言って天皇をおろしたことに由来しており、浅はかな人知のイデオロギーでは対抗できない重みがあります。まつりごととは、神様をお祀りするように政治をしなければならないのです。
精神学協会に伝えられている三か条の憲法がまつりごとの基本にあれば、近現代に人間が思いついた概念も、人知の到達点として当然守られるべきものになります。
アメリカもかつては独立宣言により、神の祝福を受けた国でしたが、九.一一でその祝福を失いました。アメリカに強制された憲法を未だに持つ日本の運命は、アメリカ合衆国の後を追うことになるのが、自然の理です。まつりごとの再発見こそが、人間が作った法ではなく、神、または天が人間界におろした法のもとに戻る唯一の道なのです。
<ラジオ内容全文>
積哲夫ラジオ、まつりごとニュースの八回目です。今回は、なぜこのまつりごとニュースを始めることになったのかについて、お話をすることにします。戦後七十九年目にして、ついに日本のまつりごと、つまり政治というものが危機に瀕する事態に直面することになりました。この現在の政治状況というものは、明治の開国後に西洋の民主主義というものを取り入れてきた、一つの結末を示しています。
それは日本国民の投票率というものに現れていて、現在もなお 日本人の意識は江戸時代の町人のように、それはお上のなさることであり続けています。なぜこうなったのかの理由は簡単で、まだ一般の日本人は江戸時代の庶民と同じように、自分の頭で考え、政治というものと自分の生活を考えたことがないためです。つまり、日本人はまだ自分たちの政治的な権利を自分で考え、戦いとった経験をしていないため、それがいかに重要なものなのかの自覚もないのです。
今の日本の政党は、自由民主党という政権政党ですら、党員数は百万人ほどです。その百万人のうち、自発的に参加し、党費を出している党員は何人いるかというと、本当の党員は さらに減ります。つまり、積極的に政治に参加してる人間はほとんどいないのです。
その結果として、投票率が下がると、宗教政党と左翼政党が有利ということになります。かつては 低当票率は自民党にとっても有利とされたのですが、岸田政権になって、その支持母体も揺らぎ始めています。これが政党政治の実態なのです。
一方で、過去にあるNPOが実施した世論調査で、天皇・皇室を「信頼できる」と回答した国民は八十七パーセントに達しています。この調査では、国会や政府・メディアなどへの信頼は、それぞれ二十パーセントから三十パーセント台にとどまっており、一般の日本国民は、政府も政党もメディアも、信頼に足るとは考えていない、ということです。これが日本という国の姿です。
本来日本のまつりごとというものは、お上のなさるもので、そのお上というものは江戸時代は幕府なり、各藩であったかもしれませんが、その武家政権の上に天皇の権威というものがあって、お上なのです。
日本の建国神話では、天の神が自分の子孫に、地上の国をしろしめせ(統治しなさい)と言って、おろしたものが天皇というものになっているので、まさにお上、なのです。この建国神話を一度も否定されたことがないという歴史の流れは、浅はかな人知によるイデオロギーでは対抗できない重みを持っています。
西洋の民主主義を、日本国は、明治以降何とか移築しようとして失敗し、大東亜戦争に敗北し、アメリカの占領政策で強引に象徴天皇制というものと、アメリカ型の民主主義を定着させようとして、それも失敗することが、このタイミングではっきりしたということです。
日本というところで、日本人を相手にする政治とは、まつりごとでなければならないのです。まつりごととは何かというと、神様をお祀りするように、政治もしなければならないということです。
日本の神様方の住んでいた、高天原という場では、民主的というか、話し合いで物事は進むのであり、支配と非支配という、西洋文明の政治の概念とは別のものが、まつりごとという言葉にはあるのです。そのために必要なことは、八十七パーセントもの日本人が信頼している、天皇という存在を再評価することでしょう。精神学協会に伝えられている、日本のあるべき憲法は、三か条しかありません。
そこで示されているのは、日本国のエリアと天皇を、日本の心とすること、国民を宝とする、という、国体というべきもので、人間の権利や義務といったものは語られていません。それがまつりごとの基本にあれば、個人の自由や法のもとの平等などの、近現代に人間が思いついた概念は、人知の到達点として、当然守られるべきものになるからです。精神界は人間の精神文化の向上を求め続けてきたことを、日本人という民族が改めて認識し、神と神々の子らが、日本という極東の島々で、神と民がともに暮らすような国づくりを始めることを求めているのです。日本に憲法を押し付けたアメリカの出発点には、独立宣言というものがあります。そこでは、「人間には、独立して国づくりをする権利が神によって与えられていると我々は信じる」ことを宣言しているわけです。その結果、独立したアメリカは神によって承認された国だと、多くのアメリカ人は信じて、ゴッドブレスアメリカという歌を、国民は愛したのです。このゴッドブレスアメリカを終わらせたのは、二〇〇一年の九.一一という事件でした。神の祝福を失ったアメリカは今、内戦の危機にあります。そのアメリカに押し付けられた憲法を未だに持っている日本国の運命も、アメリカ合衆国の後を追うことになるというのが、音霊言霊の知識があれば自然の理ということになります。人間の作った法ではなく、神、または天が人間界におろした法のもとに戻る唯一の道が、まつりごとの再発見ということなのです。
積哲夫ラジオ、まつりごとニュースの八回目です。今回は、なぜこのまつりごとニュースを始めることになったのかについて、お話をすることにします。戦後七十九年目にして、ついに日本のまつりごと、つまり政治というものが危機に瀕する事態に直面することになりました。この現在の政治状況というものは、明治の開国後に西洋の民主主義というものを取り入れてきた、一つの結末を示しています。
それは日本国民の投票率というものに現れていて、現在もなお 日本人の意識は江戸時代の町人のように、それはお上のなさることであり続けています。なぜこうなったのかの理由は簡単で、まだ一般の日本人は江戸時代の庶民と同じように、自分の頭で考え、政治というものと自分の生活を考えたことがないためです。つまり、日本人はまだ自分たちの政治的な権利を自分で考え、戦いとった経験をしていないため、それがいかに重要なものなのかの自覚もないのです。
今の日本の政党は、自由民主党という政権政党ですら、党員数は百万人ほどです。その百万人のうち、自発的に参加し、党費を出している党員は何人いるかというと、本当の党員は さらに減ります。つまり、積極的に政治に参加してる人間はほとんどいないのです。
その結果として、投票率が下がると、宗教政党と左翼政党が有利ということになります。かつては 低当票率は自民党にとっても有利とされたのですが、岸田政権になって、その支持母体も揺らぎ始めています。これが政党政治の実態なのです。
一方で、過去にあるNPOが実施した世論調査で、天皇・皇室を「信頼できる」と回答した国民は八十七パーセントに達しています。この調査では、国会や政府・メディアなどへの信頼は、それぞれ二十パーセントから三十パーセント台にとどまっており、一般の日本国民は、政府も政党もメディアも、信頼に足るとは考えていない、ということです。これが日本という国の姿です。
本来日本のまつりごとというものは、お上のなさるもので、そのお上というものは江戸時代は幕府なり、各藩であったかもしれませんが、その武家政権の上に天皇の権威というものがあって、お上なのです。
日本の建国神話では、天の神が自分の子孫に、地上の国をしろしめせ(統治しなさい)と言って、おろしたものが天皇というものになっているので、まさにお上、なのです。この建国神話を一度も否定されたことがないという歴史の流れは、浅はかな人知によるイデオロギーでは対抗できない重みを持っています。
西洋の民主主義を、日本国は、明治以降何とか移築しようとして失敗し、大東亜戦争に敗北し、アメリカの占領政策で強引に象徴天皇制というものと、アメリカ型の民主主義を定着させようとして、それも失敗することが、このタイミングではっきりしたということです。
日本というところで、日本人を相手にする政治とは、まつりごとでなければならないのです。まつりごととは何かというと、神様をお祀りするように、政治もしなければならないということです。
日本の神様方の住んでいた、高天原という場では、民主的というか、話し合いで物事は進むのであり、支配と非支配という、西洋文明の政治の概念とは別のものが、まつりごとという言葉にはあるのです。そのために必要なことは、八十七パーセントもの日本人が信頼している、天皇という存在を再評価することでしょう。精神学協会に伝えられている、日本のあるべき憲法は、三か条しかありません。
そこで示されているのは、日本国のエリアと天皇を、日本の心とすること、国民を宝とする、という、国体というべきもので、人間の権利や義務といったものは語られていません。それがまつりごとの基本にあれば、個人の自由や法のもとの平等などの、近現代に人間が思いついた概念は、人知の到達点として、当然守られるべきものになるからです。精神界は人間の精神文化の向上を求め続けてきたことを、日本人という民族が改めて認識し、神と神々の子らが、日本という極東の島々で、神と民がともに暮らすような国づくりを始めることを求めているのです。日本に憲法を押し付けたアメリカの出発点には、独立宣言というものがあります。そこでは、「人間には、独立して国づくりをする権利が神によって与えられていると我々は信じる」ことを宣言しているわけです。その結果、独立したアメリカは神によって承認された国だと、多くのアメリカ人は信じて、ゴッドブレスアメリカという歌を、国民は愛したのです。このゴッドブレスアメリカを終わらせたのは、二〇〇一年の九.一一という事件でした。神の祝福を失ったアメリカは今、内戦の危機にあります。そのアメリカに押し付けられた憲法を未だに持っている日本国の運命も、アメリカ合衆国の後を追うことになるというのが、音霊言霊の知識があれば自然の理ということになります。人間の作った法ではなく、神、または天が人間界におろした法のもとに戻る唯一の道が、まつりごとの再発見ということなのです。