1月22日 Vol.38:六六六と戦う試練
今回は、日本の神々が明治維新前後以降、沈黙した理由の深掘りとして、当時の政府が行った浅はかな人知による宗教政策が、今日までどれほどの悪影響を与えているかを、日本神界の立場で説明したいと思います。
精神界からは「悔い改めなさい」と繰り返し伝えられてきています。日本が第二次世界大戦の敗北を悔いるならば、明治維新の国づくりに原因があったということなのです。
明治維新はいいものだったという明治から今日までの洗脳、敗戦後の、戦前の日本は軍国主義だった、という短絡的な歴史の総括により、日本人の考える力は奪われました。
この歴史の責任を正しく問う能力を持たないものが、悔い改めようもない、それが今の日本人だということです。
神の側から見て、聖書と日本の神々がそれぞれ伝えた予告が同じ未来のものだとしたら、イエスの時も明治の日本の神がかりも失敗したのは、それが予告だからということです。そしてこの失敗の後、教えを残すために生まれたのが、宗教というものになります。
宗教の時代というのは、その予告や教えが現実化するために必要な時間、歴史の舞台ということです。明治の日本政府が、神の知識もないままに、キリスト教の価値観を対極的な日本神道に取り入れ、国家神道と呼ばれる宗教のようなもので世界に出ようとしたことの罪の重さを、今生きている日本人が背負わされています。失敗すると宗教化するという法則の結果を、失敗する前からやったのが大日本帝国の政府なのです。その結果生まれたのが北朝鮮の王朝や統一教会の創始者でしたが、この宗教的イデオロギーの負債を処理する方法も思いつかないほど、劣化した国家に日本は成り下がったのです。
なぜそんな絶望的な歴史を歩んだのかではなく、なぜ日本列島が終末戦争の舞台としての用意しかしてこなかったのかを正しく知り、考えることからしか、過去の負債を処理し、未来にマイナスのエネルギーの影響を残さないという改めはできないのです。
すでに日本を守ってきた結界は切れ、この世界の闇のエネルギーの本体が列島上に乗っています。これは光と闇の宇宙的な戦いであり、すでに宗教が伝えた神や悪魔の次元は超えていますが、人間の小宇宙の中ではその魂の中心にいる神と、その光を奪い、闇の側のエネルギー源にしようとする、内なる神話的、宗教的物語が同時進行しているのです。
地上の神を超えない限り、宇宙に出て戦うことはできません。これが物語宇宙の理です。日本人は自分たちの歴史に向き合うことを求められているのです。
それが、全体が六六六となった日本列島で、日本人が小宇宙の救世主となるための最初の試練だということです。
積哲夫ラジオ、第三十八回です。
前回の積哲夫ラジオで、日本の神々が明治維新前後には関与したものの、その後沈黙した、という話をしました。今回はその理由を深掘りして、当時の大日本帝国の政府が行った、浅はかな人知による宗教政策が、今日までどれほどの悪影響を与えているかを、日本神界の立場で説明したいと思います。
精神界からは、人間界に「悔い改めなさい」という言葉が繰り返し伝えられてきています。では悔い改めるということはどういうことかというと、悔いることをしてしまった原因を見つけて、改める、ということになります。
個人の問題ならば見つけやすいかもしれませんが、それが、国家が行った悔いる原因とは、となった時に、第二次世界対戦による敗北を悔いるなら、その原因は明治維新の時の国づくりにあったということです。
日本人には、明治維新はいいものだったという、明治から今日まで続く洗脳があります。さらに、敗戦後には、戦前の日本は軍国主義だった、という、短絡的な言葉で、歴史を総括し、日本人の考える能力を奪われました。
これが教育界、言論界の全面協力によって、戦後八十年続いてきたのが真実なのです。
この明治維新から敗戦までの歴史の責任を、正しく問う能力を持たないものが、悔い改めようもないのです。それが今の日本人だということです。
神の側から見て、聖書が伝えているその日、その時が来るという予告と、日本の神々が明治維新前後に伝えた、立て替え、立て直しの時が来るというものが、同じ未来の予告だとしたら、イエスの時も失敗し、日本の神がかりも失敗したのは、それが予告だから、ということになります。そして、この失敗の後に、人間社会にその教えを残すために生まれたのが、宗教というものになります。神と人間の関わりで言うなら、宗教というシステムは、失敗した結果、ということです。
人間の歴史で言うなら、キリスト教会はローマの神々に勝利し、キリスト教を国教にする 文化圏を生みましたが、その勝利の結果生まれた世界が、今、終末を迎えようとしているのです。宗教の時代というのは、その予告や教えが現実化するために必要な時間、歴史の舞台ということです。
宗教の歴史が終わりました、と私が過去形で言っているのは、その宗教が予告していた終末がすでに来ているからです。それは、キリスト教も仏教も同じです。日本で言うなら、聖徳太子の未来記などの予言も、すでに成就しているか、成就しつつあるということです。
これらの知識を統合して、人間の魂の行く先は、光の方に上昇するのか、闇の底に沈むのかの、二つに一つの選択の時が、もう始まっていますよ、と人の世に伝える役割を担っているのが、この積哲夫ラジオ ということです。
ここで、明治の日本政府が、神の知識もないままに、キリスト教の価値観を、その対極にある日本神道に取り入れ、天皇を神の代理人とする、つまりローマ法王のような、あるいはそれ以上の現人神として、国家神道と一般に呼ばれるような、宗教のようなものとして世界に出ようとしたことの罪の重さを、今生きている日本人が背負わされている、という話をしなければならないのです。
神界から見て、宗教という人間システムはすでに失敗していたものなのです。失敗すると宗教化するという法則があるものを、失敗する前からやったのが大日本帝国政府ということです。
その結果生まれたのが、北朝鮮の金王朝であり、日本をイブ国家と呼んだ旧統一協会の創始者となった文選民の宗教観でした。
今の日本国は、これらの朝鮮半島のイデオロギーまたは宗教とでも言うべきもののルーツが、戦前の大日本共栄圏という、当時の日本人が、西洋に対抗し、ロシアの次に台頭したソ連邦にも対応するために考えた、日本教とでも言うべきものにあることを忘れ、この宗教イデオロギーの負債にうんざりするだけで、この負債処理の仕方すら思いつかないほど、劣化した国家に成り下がったのです。
悔い改めるなら、なぜそんな歴史を大日本帝国は歩んだのか、を正しく知らなければなりません。そして、そこからしか、過去の負債を処理し、未来にそのマイナスのエネルギーの影響を残さないという改めはできないのです。
敗戦後の日本が、なぜこれほど絶望的な選択しかしてこなかったのか、ではなく、明治から今日まで、日本列島はこの終末戦争の舞台としての用意しかしてこなかったのか、を考える時が、この二千二十五年です。
すでに日本を守ってきた全ての結界は切れ、既にこの世界の闇のエネルギーの本体が、日本の伊勢を中心とする列島上に乗っています。これは光と闇の宇宙的な戦いなのであって、すでに宗教が伝えてきた神や悪魔の戦いの次元は超えていると考えてください。
ただし、人間の小宇宙の中では、その一人一人の魂の中心にいる神と、その光を奪い、闇の側のエネルギー源にしようとする、神話的、宗教的物語が同時進行しているのです。
地上の神を超えない限り、宇宙に出て戦うことはできません。これが物語宇宙の理、ことわりです。日本人は自分たちの歴史に向き合うことを求められているのです。
それが全体が六六六となった、日本列島で日本人が小宇宙の救世主となるための最初の試練だということです。