2024年11月6日 Vol.27:祟り神の発動
この二千二十四年の十月は、精神界の変化が現実の人間界に反映、または投影されるタイムラグが一気に減少したタイミングだったと私は考えています。今の人間界、特に日本人の多くは自分の頭で考える能力を失いつつあるというのが、天から見た日本人の感想です。天にとって許しがたいのは、日本という世界最古の民族国家は、天または日本神界のプログラムによってこの地上に置かれたということを、ほとんどの日本人が無視していることです。日本人が覚醒しなければ、世界の覚醒も起こり得ないのです。
ではどうすれば日本人が覚醒するのか、このまま行けば地球がどうなるのかを教えるために、試練があります。小難でわからなければ中難、大難と、目が覚めるまで試練が続きます。これらのための用意が、千九百九十一年から二千二十四年まで続いてきた精神学の学びと用意の期間で、これは日本の失われた三十年にちょうど対応しており、日本の経済成長は精神界によっても止められていたのです。
普通の日本人にとっては、お金や経済的成功のためには神仏の加護が必要なのは常識ですが、それを失ったのが日本の政財界です。自分の頭の中だけで生きている今の日本人が頑なで賢しらなのは当然ですが、その頭の中の小宇宙を作ったのは、光を認めない闇の勢力です。個人の責任であると、日本の神々がこれを放置するわけにはいかないのです。日本人が神の道に気付いて回帰するまで、日本列島上で祟り神が収まることはないと言うべきなのでしょう。
神の道から離れて生きれば、正しい神の世界からは、敵であると認定されます。この世に生まれた人間の魂のテーマは、悪魔的なものの支配から神のもとに人間世界を取り戻すべく生きるということです。その悪魔的なものは、魂を売り渡す人間をこの世で求め、彼らを自分の代理人としてこの世の支配者とするということを繰り返してきました。これが人間の世の歴史なのです。
今の人間が知る歴史では、神の世がこの世に現れたことはないように思われますが、この先もないのでしょうか。これが信仰というものの本質で、最後の審判のように、これまでなかったとしても、その日その時を信じて求めて生きるのか、光への道か、闇への道か、なのです。
この世の富や権力を求める者の多くは自分のために求めますが、この世に自分の理想、神が約束した姿を実現するために求める者もいます。清貧の思想、生き方は一つの道のように思えますが、人間があえて穢れたこの世に生を受けていることに気付くと、人間として今この時に生きている重要性が理解できるはずです。
かつて神であったとしても、人間に生まれた限り、役割を果たさなければ元には戻れません。それがこの宇宙のルールだからです。
積哲夫ラジオ、第二十七回です。
この二千二十四年の十月は、今まで精神界の変化からだいぶ遅れてから、その変化が現実の人間界に反映、または投影されるのが常だった日本列島で、一気にそのタイムラグが減少したタイミングだったと私は考えています。これからは今まで私が伝えてきたことが絵空事だと思っていた日本人が、気づかざるを得ない日々が始まります。
今の人間界、特に日本人がこれほど頑なで賢しらになったのは、日本人の多くがマスコミの言葉や教育者や文化人などの言葉に、自分の頭の中の世界観や宇宙観の形成を委ねた結果、生じたものです。日本人の多くは自分の頭で考える能力を失いつつある、というのが天から見た日本人への感想なのです。
日本という世界最古の国民国家は、天または日本神界のプログラムによってこの地上に置かれたということを、ほとんどの日本人は無視しています。これは天から見れば許しがたいことなのです。世界の次のモデルを日本に置いたのに、日本人が覚醒しなければ、世界の覚醒も起こりえないからです。
ではどうすれば覚醒するのか。このまま行けば地球はどうなるのかを日本人に教えるために、何かが必要だということです。覚醒のための信号は、精神学を学んでいる人間には、良いことの反対の、試練というものになります。試練とは困難ということです。小難でわからなければ中難、中難でわからなければ大難、こうして目が覚めるまで試練が続くことになるのです。これらのことを始めるための用意が、千九百九十一年からこの二千二十四年まで続いてきた精神学の学びと用意の期間で、この期間はちょうど日本の失われた三十年に対応するのです。日本の経済成長を止める力は精神界からもかかっていたということです。
普通の日本人は、お金や経済的成功を得るためには、お稲荷さんに代表される神仏の加護が必要だということを常識として知っています。この常識を失ってしまったのが日本の政界であり、経済界の人間だということです。このように自分の頭の中だけで生きている今の日本人が、頑なで賢しらなのは当然ですが、それを個人の責任と放置するわけにはいかない理由があるのです。それはそれらの人間の頭の中の小宇宙を作ったのは、光を認めない闇の勢力だからです。
これが日本列島の神々が、今の日本人に対してこれから起こす行動の根拠というものになります。日本列島上で祟り神の発動が許された理由は、日本人の変節によるものということです。神の道に気づき、神の道に日本人が回帰するまで、今回の祟り神騒動は収まることはないと言うべきなのでしょう。
人間は神の子なのです。神の道から離れて生きるということは、悪神、邪神と呼ばれてきたものとなるということです。そうなると正しい神の世界からは、敵認定がなされることになります。
この世に生まれた人間の魂に記入されているテーマは、悪魔的なものが支配する人間世界を神のもとに取り戻すべく生きるということにほかなりません。この世を支配する悪魔的なものが、人間の魂を自分のワケミタマで満たすことができるならば、この世は彼らのものになりますが、悪魔的なもの、それを悪い神と呼んでもいいのですが、神の座から追われたものに、ワケミタマを配る能力はないのです。結果として魂を売り渡す人間をこの世で求め、彼らを自分の代理人としてこの世の支配者とするということを繰り返してきました。これが人間の世の歴史です。
神の世がこの世に現れたことは、今の人間が知る歴史にはないように思われますが、この先にもないと言えるのかということです。これが、私がいつも言い続けている信仰というものの本質です。要するに、最後の審判と同じなのです。これまでもなかったから、この先もない、と信じて生きるのか、これまでなかったとしても、自分はその日その時を信じて求めて生きるのか。この選択の中で一つは光への道、一つは暗黒への道ということです。
この世の富や権力を求めるものの多くは、自分のためにそれを求めますが、この世を自分の理想、または神が約束された姿にするために、富を生み出し、権力を得たいと行動する人間がいないわけではありません。人間の世が穢れているということから、清貧の思想、生き方は一つの道を指し示してるようにも思えますが、人間はあえて穢れたこの世に生を受けて生まれているのです。そのことに気づくと、人間として今この時に生きていることの重要性が理解できるはずです。
この世は光と闇の戦いの最終段階に入っています。どちらの側で生きるのかが問われているのです。かつて神であったとしても、人間に生まれた限り、役割を果たさなければ元には戻れないということでもあります。それがこの宇宙のルールだからです。